ブラックプールも終わり、帰国された先生も多いでしょう。 今週末は武道館で日本インターですね。
僕は出場しませんので、通常営業です。日曜日には南大沢でヤングサークルのレッスンもあります。
さて、特別音楽家の家に生まれたわけではないのですが、人生振り返ってみると音楽との関係はさして薄くなかったのかなと思います。
幼少期、愛媛の実家にはレコードのステレオがあり(今も現役であります)

↑こんな感じの
男児には格好のおもちゃで、レバーやつまみをいじっては、ここは自分の司令室かのごとく遊んでいました。そのうちに音楽を聴くものだと知り家中のレコードを聴きあさってました。
ビートルズ、カーペンターズ、アートブレイキー等々。今思えば贅沢な話だ。
小学生になると、陸上や水泳や野球などバリバリのスポーツマンでしたが、1度だけ吹奏楽部のコンクールに参加しました。(理由は不明w)
鉄琴担当でエルガーの「威風堂々」を毎日練習していた記憶があります。
中学生時代には、思いっきりギターにはまりました。当時流行っていた、ゆず、19、ミスチルやサザンの曲を家に帰ったらひたすら弾き語ってました。
ブルースハープ(ハーモニカ)も練習して、もはやストリートミュージシャン待ったなし状態。
当時、兄も(僕は3人兄弟の末っ子です)友達とバンドを組んでいて、家にはアコギからエレキギター、ベースとドラムの練習セットなど楽器溢れてましたね。
そんなわけで、中学時代は本気で音楽業界に就職したいと思ってましたし、両親にも言ってました。ミュージシャンとは言わないけれど、音楽に関わる仕事がしたいな~と思ってましたね。
それがどうしてダンサーになってしまったのか、というのはまたの機会に書きたいと思います。
高校時代も、ギターは続いていて文化祭ではHYの曲を弾いてました。
大学で上京するときに東京の下宿先ではギターを弾けるような環境ではないですから、実家においていきました。
それ以来、10年ほどは楽器から遠ざかりましたね。
現在は家にギターはあって、たまに弾いたりしています。昔ほど弾けなくなってしまいましたが、やはり楽しいですね。
「トドメの接吻」というドラマが放送されていた時、主題歌の「さよならエレジー」とかめっちゃはまってました。もうね、気持ちいいんですよ。
やっぱり、音楽と共に何か奏でるというのは楽しいことだと思いました。
そういう意味では、ダンスを好きになるのは必然だったのかなと思います。ダンスは歌のように言葉は発しないけど、体で歌うように踊れたらとても楽しいと思います。
てか、欧米の選手ってよく歌いながら踊ってますしね。
音楽を感じて踊らないのは本当にもったいないと思います。自分自身にも言い聞かせてこれからも踊っていきたいと思います。
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